私が20代の時の話だ。
私はアルバイトで教室長を任されていた。
今となっては考えられないが、
当時はそのようなことは少なくなかった。

教室長とは名ばかりで雑用に追われていた。
掃除、教室の前の花壇手入れ、小テストの準備、
前日書かれた日報を読んだり、その返事を書いたり、
中規模店舗だったので、
他のアルバイトのシフトも作っていた。
もちろんアルバイトの採用面接も業務の一環だった。

アルバイトの採用試験に応募してきた一人の女性がいた。
バイトは常に不足気味で、
この時は「助かった」と採用する気満々だった。
ただ履歴書を見ると、高卒になっていた。
一応この会社では大卒が最低の採用基準だった。

話を聞くと親の都合で大学には行かせてもらえなかったらしく、
一応受けてもらった大学入試問題は私よりも良い成績だった。
熱意も情熱も伝わってきたし、私は一緒に仕事がしたかった。
ただ会社の判断を仰がないと採用はできなかった。

私は正直に伝えた。
「一緒に仕事がしたいのですが、採用基準が大卒になっています。
会社の判断を仰がないと私の判断では採用できません」と。
その女性は微笑んで、
「ダメもとで今日はやっていました。どうしても教育に興味がありまして」と言われた。
後日連絡をするとだけ伝え、その日は終わった。

会社の本部にその旨を連絡したら「不採用」と言われた。
「やる気もあって、知識もある、それでも不採用ですか??」と私が意見したら、
「保護者様に高卒の人が教えている塾があると聞いたらどう思う??」などと
本部の人と30分ぐらい話したが、話しは平行線のままだった。

私は忘れもしない16歳の12月から
塾講師のアルバイトをし始めた。
もちろん高校生だった。
中学生の冬の合宿の手伝いを誘われたのが事の始まりだった。
中学を卒業する頃には塾の先生になるのが夢だったので、
私は張り切って参加し、合宿が終わった時は達成感があった。
そして私が関わった生徒が合格したとき、
なんとも言えない安堵と今まで味わったことがない達成感を感じた。
それが私の最初の卒塾生だ。

そんな想いもあったので、その女性と一緒に働きたかった。
結局私が責任を取るという形で採用になった。
私の右腕どころか、彼女は改善提案までしてくれて、
塾は万年赤字店舗から黒字店舗になることができた。
そして最初の卒塾生を送り出した時、
彼女は泣いていた。

塾は学校と違って種を蒔くけれど、
実ったところは見ることがほとんどない職業だ。
塾の同窓会を開いているところは少ないはず。
この手の話はありふれた話だが、
多少学歴が必要な場面もあるが、
情熱や熱意や夢、生徒を良くしたいと思う心こそ
学習支援業には大切だと思う。

私もそんな風に考えながら、
今日も生徒と向き合っている。


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